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日記のあらまし

これは、2002年に研究室の先生の調査の手伝いでタイに行った時の記録です。初の海外体験でした。

タイ日記1

2002年2月24日(1日目)
名古屋国際空港→台北→バンコク ドン=ムアン空港→市内散策→市内ホテル(泊)


電車を待つお坊さん

バンコク到着

 飛行機が徐々に高度を下げてくると、まもなくバンコクのドン=ムアン空港に着陸するとのアナウンスが、中国語、英語、日本語、そしてゴム鞠が跳ねるようなリズムのタイ語で流れた。隣の座席で音楽を聴いていたはずのD先輩(今度院生になる4年生)が、いつのまにかイヤホンを外していて、「いよいよタイだねえ。もうわくわくして仕方ないよ、ほんとに」と話しかけてきた。さらに隣のN先輩(修士を出て今度社会人になる)が、もぞもぞと服を脱ぎはじめた。厳寒の日本から、いきなり真夏の太陽が照る熱帯の国に降りるのである。結局先輩は、「機内じゃあ、ちょっと寒いかもな」といいながら半袖のTシャツ姿になった。安い航空券のためだろう、座席はちょうど機体の中央で、窓の景色は全然見えない。「窓からはチャオプラヤ川のデルタが見えるのかな」と、地形学を専門にしているD先輩はちょっと残念そうだった。そのうちに、寝ていたT(僕と同学年の2年生)が起きた。前日までスキーに行っていたそうで、すでに日焼けしている。

 飛行機を降りると、空港棟への通路の隙間から、熱波のような空気が、冷房を押しのけて進入していた。初めての海外、初めてのタイ。やっと実感が湧いてきた。建物の中は、甘い香水のような、不思議な匂いで充満していた。これがタイの匂いかぁ、と思った。入国審査を済ませ(日本の学生がけっこういたので、すごく安心した)、正式にタイの国内に入ると、改めて日本ではないことに気付かされる。彫りの深い顔の人たち、読めないタイ語の案内、そしてわからない言葉の渦…。そして、極めつけは、EXCHANE(両替)と書かれた看板の場所で2万円を両替したときの、現地紙幣の札束。物価の違うタイにおいては、貧乏学生でも、にわか金持ちになれる。このことが、あとで災難を生むのだが……、このときは、不思議な感覚に酔っていただけだった。

 何回かタイに行ったことのあるN先輩が安全なリムジンタクシーを予約してくれ、今日泊まるホテルへ向かった。マールアイガーデンホテルという。マールアイというのは、「金持ち」という意味だそうだ。タクシーに乗ってまずびっくりしたのは、日本じゃ考えられないような走り方をする。飛ばすわ、追い越すわ、恐ろしいほどの乱暴な運転でとにかくすっ飛ばす。最初、運転手の性格なんだと思ったけれど、違っていた。どの車もみんな同じように法規無視に近いすごい運転をしている。よっぽど腕がよくないと、タイの町は運転できそうにない。事故もよく起こるだろう、なんて話していたら、事実、この10日間の旅行中に、実に3回もの事故現場に遭遇した。おお恐。

60円でぎゅうぎゅう積めの"モジャモジャ"

 ホテルにつくと、先に到着していたU先生(今回誘っていただいた大学の先生)、NちゃんとIさん(研究室の同学年)が待っていた。U先生は、さっそくバンコクの街を案内してくださるという。冷房のよく効く部屋で少し休んでから、ロビーに集まった。

 昼間はとにかく「酷暑」の表現がぴったりの暑さだったが、夕方になって日が傾くと、多少和らぐ。ホテルから出た僕らは、南の方へぶらぶらと歩き出した。街は、空港の中とはまた一味違った匂いが充満していた。何と表現すればよいのか迷う。恐らく、汗の匂い、排気ガスの匂い、露天商からのスパイスと海鮮物のすえた匂い、それらが闇雲に混ざり合っているような、いかにもアジアっぽい匂いだ。音も同様にごみごみしている。警笛、人のざわめき。街灯はあまりなく薄暗い。

 そんな中の辻では、近くの大学や個人の住宅からうようよと人が集まっている。果物売りの前に来ると、鮮やかな赤い色をしたテニスボールくらいの玉に、もじゃもじゃと奇怪な毛が生えたような果物が山積みになっていた。U先生は、女の露天商と目を合わせると、おもむろに財布から20バーツ(約60円)札を取り出して、その果物を指差しながら、露天商に渡した。露天商は、無言のまま、ビニルの袋に、どんどんそのモジャモジャを入れてゆく。これくらいだろう、と見ていると、まだまだどんどんぎゅうぎゅうに詰めてゆく。(えーっ、60円でこんなにも!)と驚いてしばらく経ったころ、モジャモジャは先生の手に渡った。「これは、ランブータンという名前で、美味しいから、ホテルに帰ったらみんなで食べよう」とU先生は言った。でも、見るからに、7人が1回で食べれる量ではなかった。

 ホテルのちょっと高級そうな食堂には、すでに辛い匂いが立ち込めている伝統料理「トムヤンクン」が鎮座していた。いよいよお出ましか、と思った。辛いものは、苦手ではない。むしろ、うどんには必ず、七味をかけるくらい、好きな方である。けれど、その料理の色からして、辛さの量は尋常ではなさそうだった。後日、東京のタイ料理の店で、友達とタイ料理を食べたことがあった。そのときも、せっかくなので、とトムヤンクンを注文したのであるが、結構辛かった。しかし、である。ホテルのトムヤンクンの辛さからすれば、それは横綱と入門したての序の口を比べるようなものだった。食事の最初で、何の気なしに、ひとすくい自分の皿によそった僕は、食事の最後までかかって、やっとそれを消費し尽くすことができた。

トレンディードラマ

 部屋に帰ると、同室のTが先に風呂に入るというので、その間、テレビをつけてベッドに寝っ転がった。あたり前のことであるが、どの局からも、タイ語とタイ人が飛び出してきた。なんかすごいぞ、と感心した。馬鹿みたいな話であるが、タイ1日目の僕にとって、それは結構凄いことだった。ある局では、目が冴えるような鮮やかなオレンジ色の袈裟を着たお坊さんが、なにごとか、静かに語っていた。「心の時代」みたいな番組なのだろうか。時刻は9時を回ったころ。視聴率を稼ぐゴールデンタイムである。そんな時間に、ゆったりとした坊さんの講話。いかにも仏教国タイらしいと思った。けれど、他の局では、日本とそんな大差はなかった。サッカーの中継。若手コメディアンの掛け合い。奇麗な女のひとがキャスターになっているニュース解説番組。言語と人を日本のものにすれば、ほとんど区別は付かなくなってしまうだろう。

 そうこうしているうちに、Tが風呂から出てきた。「シャワーが、据え付けてあって、動かせないんだ。びっくりした」と言った。どれどれ、と見に行くと、なるほど壁に金属の如雨露の先のようなものがしっかりとくっついていて、日本のもののようにホースがついていて手で持って体を洗うことはできなさそうだった。つくづく、不便なものを使ってるなあ、と見ていると、「ね、ドラマやってるよ」と、ベッドに座り込んで頭をふきながらTが呼ぶ。付けっぱなしのテレビのチャンネルを替えたらしい。テレビのところに戻ると、なるほど、日本でよく見るような、カッコイイ男優と、奇麗な女優が主演している、トレンディードラマのようだった。言葉はまったくわからない。けれど、不思議なことに、日本で散々見ているような筋のようで、数十分見ているとなんとなく話はわかるのである。「吹き替えてみようか」僕は言った。どこかの道端で、車の故障をきっかけとして知り合った男女の仲に、危機が訪れているようだった。男は、女によりをもどして欲しい。そこで、女の家へ訪ねて行く。

 バイクの音。降りる男。チャイムを鳴らす。ビックリして出てくる女。「もう、来ないでって言ったでしょう」「……」「帰って」「どうしても、言いたいことがある。中に入れてくれないかな」「ドア、もう閉めるよ」

 「本当にドアしめちゃうかなあ」Tが言った。「閉めるよ、……ほら」。ちゃんとドアが閉まって、とぼとぼと男は帰っていった。けっこうそのドラマはおもしろかったので、Tが先輩たちの部屋に行ってくると部屋をでて行ってからも、1時間近く見てしまった。かくして、タイ1日目の夜が更けていった。