里山の地生態学(富田啓介)

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なぜそこにある? を追究

 地理学は、地球の表面付近のあらゆるモノやコト(事象)について、「それはどこにあるのだろう?」「なぜそこにあるのだろう?」「その場所では他のモノ・コトとどういう関係になっているのだろう」といったことを研究する分野です。もう少し専門的な言葉でいうと、「地表の自然・人文にわたる諸現象を、環境・地域・空間などの概念に基づいて解明しようとする学問」となります(『最新地理学用語辞典』、原書房)。

 たとえば、人間はどんな生き物なんだろうか?という疑問を追究していくのは人類学ですが、人間はどこに住んでいるのだろうか?という疑問を追究するなら地理学になります。また、ある特定の場所があったとして、その場所に住む人は、どんな家に住んで、どんなものを食べて、どんなことを考えているのだろう?という疑問を追究しても地理学になります。

 地球の表面にあって、場所によって変化するのは人の暮らしばかりではありません。大地(山や川や海)や大気(晴れ・雨・乾燥・湿潤)も千変万化。大地や大気も、人間の場合と同じように、「それはどういうものか」を追究する分野として地質学や気象学がありますが、「なぜ山がそこにあるのだろう?」「なぜここは大雨がよく降るのだろうなのだろう」と場所と関連付けて追究すれば、それは地理学です。

 高校までの教科としての地理は、(最近は少しずつ変わってはきていますが※)、「何がどこにあるか」という暗記物のイメージがあるかもしれません。しかし、そればかりが地理学ではありません。「人間がどこに住んでいるのか」を知ったなら、どうしてそこに住んでいるのかな、と学問の地理学では考えます。どうして住んでいるのか知るためには、人間のことだけでなく、大地のことや大気のことも知らなくてはいけません。地理学は、地表面のあらゆる事象を、ジグソーパズルを解くように互いの関係性を見極めて解き明かしていく、とてもわくわくする楽しい学問です。

※地理教育の専門用語を使うと、静態地誌から動態地誌へのシフトといいます。

何を扱ってもいい!

 すでに書いたように、地理学の扱う対象は何であっても構いません。人類学・地質学・植物学など他の多くの学問が扱う対象によって定義されるのに対し、地理学は、場所や空間の広がりに注目するというモノの見方で定義される分野だからです。

 人間でも、工場でも、商店でも、音楽でも、作物でも、山でも、気温でも、野生動物でも、何でも構いません。地球表面付近にあるモノやコトの数だけ、扱う対象があります。いや、それぞれのモノやコトの関係も当然扱うことになりますから、扱う対象は無限大とも言えます。また、現代のことだけでなく、古い時代や、時代ごとの変遷について扱う場合もあります。

 しかし、それではあまりにとらえどころがなくなってしまうので、便宜上の分け方があります(※)。産業・経済・政治・文化などの人や人の社会がつくり出したモノやコトを扱う研究は「人文地理学」と呼びます。気候・地形・植生などの自然物や自然現象を扱う研究は「自然地理学」と呼びます。人文地理学の中で、現代より遡った時代のことを扱う場合は「歴史地理学」と呼びます。このように、地表面を構成している要素について、対象を絞り分析的に取り上げる研究を、まとめて「系統地理学」ということがあります。

 さて、あるひとつの地域をみたとき、人文地理学で扱うモノ・コトも、自然地理学で扱うモノ・コトも渾然一体となってそこに存在していますね。その渾然一体となった状態そのものが地域の姿なので、地域をとらえようとする場合は、事象を分解せずに一緒に把握することが必要になります。つまり、地域にあるあらゆるモノやコトを記載し、地域を見つめるわけです。そうした系統地理学とは異なるアプローチをする研究は、「地誌学」といいます。地理学は、系統地理学と地誌学が、補完しあって成り立っているのです。

※あくまで便宜上の区分です。私は里山を研究対象にしており、主に植生や地形などの自然物を見ているので「自然地理学が専門」と名乗っていますが、当然里山の自然物を知るためには、人の暮らし(社会や文化)を調べる必要が出てきます。その点では、人文地理学なのかもしれません。