里山の地生態学(富田啓介)

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 私は趣味で登山をする。登山道や山頂で挨拶を交わすとき、しばしば「どこから来られました?」と、居住地の情報を交換することがある。もちろん、これはあいさつの延長のあまり意味をなさないやりとりであるが、時に、意外に遠くから来た登山者に出会ったりすると、「なぜこの人は遠くからわざわざこの山に登りに登りに来たのだろう」と考えたりもする。

 そもそも、日本ではどれくらいの人が山歩きをしているのだろうか。山歩きをする人の数は世代間や地域間で差はあるのだろうか。こうした問いに答えてくれるのが統計である。ここでは、主に2006年に総務省によって行われた「社会生活基本調査」(以下単に調査)という大規模なアンケートの結果に基づいて、山歩きという活動を地理学的な観点から探ってみたい。

野球より大衆的

 調査では、インターネットの利用から介護まで様々な社会生活に関する事柄が明らかにされているが、その一つとしてスポーツ活動に関する設問がある。図1に、この調査によって推定された日本国内における各種スポーツの活動人口(調査時までの1年間に行ったことのある人の数)を示した。これによると、「登山・ハイキング」はおよそ1100万人によって行われている。ヒマラヤ遠征のような超本格的なものから裏山の散歩まで様々なレベルがあるだろうが、ざっと国民の10人に1人が山歩きを行っていることがわかる。

 この数を他のスポーツと比較してみると、野球やサッカー、テニスといった大衆的と思われているスポーツよりずっと上位に位置している。普通、登山はどちらかというとマイナーなスポーツという印象があり、野球より数字が上という結果は意外かもしれない。この理由の一つとして、野球やサッカーは広く普及しているように見えるものの、その参加形態の多くがプロ選手の活動の「観戦」という形によるものなっているため、実際に自ら行っている人口は少ないという事情がある。また、これらの対戦型スポーツはエキサイティングな試合経過で我々を魅了するが、登山は基本的に個々人が自然と向き合う地味なスポーツである(例外的に登山技術を競い合う団体戦の大会が高校総体などで行われている)。このため、社会的に取り上げられることが少なくマイナーに感じるという事情もあるだろう。そしてもう一つ、スポーツの要素として欠かせない「青春の汗」(!?)というイメージが、現状ではほとんど感じられないという悲しい現実が大きいように思われる。このことを次に見てみよう。

若者不在

 スポーツの活動率(ここではその世代の人口に占めるそのスポーツを行った者の割合とする)は、年齢によって大きな変動がある。この変動は、種目によってかなりの相違がある。たとえば、野球やサッカーは中学・高校の部活で普及していることもあり若年層で高いが、活動の場が減ることや体力的な制限から、年齢が高くなるにつれおおよそ減っていく傾向にある。一方、ゲートボールは若年層ではほとんど活動されていないが、70代以降の高齢者層で活動率が高くなる。では、登山はどのような傾向があるだろうか。

 図2は、調査によって明らかにされた「登山・ハイキング」活動率の年齢別推移を、同様に自然の中で行うスポーツとして「つり」「サイクリング」「スキー・スノーボード」と比較して示したものである。これらのスポーツには共通した傾向がある。それは、10代前半で第一のピークを形成していること(おそらく林間学校やスキー合宿のような学校教育の一環としての体験や家族ぐるみのレクリエーション活動としての体験が影響していると思われる)、一旦落ち込むがその後第二のピークを顕著に形成することである。違いは、第二のピークの時期である。スキー・スノボでは20代前半と若い時期に、つりやサイクリングでも30代後半と比較的若い時期にあるのだが、登山・ハイキングはなんと60代前半にある。山歩きは、30代後半まではどの野外スポーツよりもマイナーな扱いとなっているのだが、50代前半までに他の3種目をゴボウ抜きにして、以降の中年後期から高齢期にかけて独壇場となる。

 この状況は、実際に山歩きを経験したものであれば実感としてよくわかるだろう。あいさつを交わす相手に若者はほとんどおらず、会うのは中高年者ばかりである。大学生はよほど珍しいらしく、学生が山に登っていると「若いのに偉いねえ、奇特なことだねえ」などと声をかけられることさえある。「登山・ハイキング」は、総数では「スキー・スノボ」を上回る活動人口がいるにもかかわらず、特に若い世代の目から見てマイナーに感じてしまうのはこのような事情があるからなのだ。

移動するスポーツ

 さて、今度は「登山・ハイキング」の活動率(以下登山人口率)の地域性を見てみることにしよう。これも大変面白い結果である。図3は調査に基づいた県別の登山人口率の差異を示した地図である。活動率の最高は神奈川県で14.8%(約7人に1人)、最低は沖縄県の3.0%(約33人に1人)と地域によって大きな違いがある。また、日本の中央部とりわけ首都圏や関西圏といった都市部で登山人口率が高く、地方とりわけ中国・四国・九州地方で低い傾向がある。沖縄県で登山人口率が最も低いのは、県内に登山できる山がほとんどなく(最高峰が石垣島の於茂登岳で標高526メートル)、離島のため県外の山にも出掛けにくいという事情があるのは理解しやすいが、それ以外の地域差はどのように生まれたのだろうか。それを探るため、登山人口率を他の統計指標と比較してみることにした。

 図4は、都道府県を登山人口率の大きい順に並べたもの(同順位の場合の順序は任意)に、2008年10月1日現在の推計人口(a:出典は統計局人口推計データ)および山地面積(b:出典は平成21年日本統計年鑑)を示す棒グラフを加えたものである。まず、推計人口との比較を見ると、やはり一部の例外を除いて人口の多い地域で登山人口率が高くなっていることがわかる。数の多いところで率が高いということは、都市部で登山人口の集積が顕著に見られることになる。一方、山地面積との比較では、全体の傾向ははっきりしないものの、登山人口率の上位に列せられる都府県では概して山地が少ない傾向は確かである。これらの結果から、「山の少ない都市部で登山人口率が高い」ことがうかがえる。

 これから先はあくまで推測であるが、山が当たり前にあると登山意欲が少なくなり、山のない環境にあると山への憧れから登山意欲が湧いてくるということがあるのかもしれない。都市部では、学校・職場・地域などで作られる山岳会や登山サークルなどの数が多いことも予想される。このため、登山の情報や仲間を見つける機会も多くなり、登山やハイキングの普及が進んでいるということもあるかもしれない。また、同じ地方部でも東北や北海道などの東日本と比べて、中国・四国・九州で登山人口がより低くなる傾向は、地域内にある登山対象となる山の数の違いがもたらしている可能性もある。たとえば、ひとつの指標として深田久弥の日本百名山の数を取り上げると、北海道・東北・上信越(日本アルプスを除く)では利尻山から妙高山まで32座が数えられるのに対し、中国・四国・九州では、大山・剣山・九重山・開聞岳などわずか9座しか数えられていない。

 ところで、「山がすぐ近くにない場所に登山人口が集積している」という現状は、「登山は対象の場所まで移動をした上で行われるスポーツ」である側面を如実に示している。登山という活動を様々な面から検証する際には、この「活動の前に移動を伴う」という側面を軽視してはいけないだろう。